• 「取引先からISMSの取得を推奨されて…」
  • 「競合がISO認証を取ったらしい…」

最近、このような話を聞き、自社でもISOやISMS認証の取得を検討されている社長様は多いのではないでしょうか。認証は「信用の証」であり、取得すればビジネスチャンスが広がると言われています。

しかし、少しお待ちください。

私は、中小零細企業の社長様には、この「認証取得」という大きな決断の前に、一度立ち止まって冷静に考えていただきたいと思っています。なぜなら、認証は取得して終わりではないからです。取得時のコスト以上に、「維持コスト」という名の、終わりのないマラソンが始まることをご存知でしょうか。

本日は、コンサルタントや審査機関が教えてくれないかもしれない、「トータルコスト」の現実と、本当に自社にとって認証が必要なのかを見極めるための視点について、大企業でISOの維持に奮闘する現場を知る私が本音でお話しします。

見過ごされがちな「維持コスト」という重い現実

認証取得には、コンサルティング費用や審査費用で、安くても数十万円、規模によっては百万円単位の初期投資が必要です。しかし、本当に重い負担となるのは、その後に毎年発生する「維持」のためのコストです。

  • 維持審査費用(毎年): 認証を維持するためには、毎年審査機関による審査を受ける必要があり、その都度、数十万円の費用が発生します。
  • 更新審査費用(3年ごと): 3年に一度は、より大規模な更新審査があり、これも高額な費用がかかります。
  • 担当者の人件費(最大の隠れコスト): 最も見過ごされがちなのが、この「見えないコスト」です。中小零細企業では、社長様ご自身や、他の業務と兼任する社員が担当者になるケースがほとんどでしょう。その担当者が、規程の更新、内部監査、審査の準備といった認証維持の業務に費やす時間は、膨大です。
    • もし、担当者の年間業務の20%がISMSに費やされるとしたら?それは社員の給与の20%分を、毎年「認証維持」に支払っているのと同じことです。本業の売上を立てるべき貴重なリソースが、書類作成や審査対応に割かれ続けるのです。

このトータルコストを考えると、「本当に、この投資に見合うリターンがあるのか?」と自問自答する必要があります。

「ないと取引できない」のか、「あると嬉しい」のかを見極める

取引先から「ISMSを取得してほしい」と言われた時が、一番の考えどころです。ここで重要なのは、その言葉の「本気度」を正確に把握することです。

ケース1:「必須条件」の場合

公共事業の入札条件に「ISMS認証取得」が明記されている場合や、大手企業の取引基本契約書に「認証取得を必須とする」という一文がある場合。これは、残念ながら取得しなければ、その取引のスタートラインにすら立てません。ビジネスの入場券として、コストをかけてでも取得する経営判断が必要になるでしょう。

ケース2:「推奨条件」の場合

一方で、「取得を推奨します」「取得されていると、より安心です」といったニュアンスの場合はどうでしょうか。

この言葉を鵜呑みにし、「すぐに取らなければ!」と焦るのは早計です。多くの場合、これは「貴社のセキュリティ体制をしっかりと確認したい」という相手の意図の表れです。

こんな時こそ、社長様の出番です。

「認証取得には多大なコストがかかるのが実情です。しかし、弊社は情報セキュリティを非常に重視しており、このような対策(※)を具体的に講じております。御社のセキュリティ要求事項に対して、現状の弊社の体制でご懸念な点はございますでしょうか?」

と、誠実に、かつ具体的に対話するのです。

(※)ウイルス対策ソフトの導入、PCの管理台帳、データのバックアップ体制、社員教育の実施記録など、自社で実践していることを資料として提示する。

認証という「パッケージ」に頼るのではなく、自社の取り組みを「見える化」して直接説明することで、相手の懸念を払拭できるケースは少なくありません。むしろ、その真摯な姿勢が、より深い信頼関係につながることもあります。

無理な認証取得がもたらす「副作用」

「推奨」レベルであるにもかかわらず、無理をして認証を取得すると、会社にとってマイナスの副作用が生まれることがあります。

  1. 形骸化(ペーパー認証): 審査を通過するためだけに作られた、現場の実態と合わないルールブック。誰も読まず、誰も守らない。これでは、お金と時間をかけて「立派なホコリをかぶる書類」を作っただけです。セキュリティレベルも向上しません。
  2. 社員の疲弊: 兼任の担当者は、本来の業務に加えて膨大な事務作業に追われ、疲弊します。周りの社員も「また面倒なルールが増えた」と、やらされ感だけが募ります。会社の士気や一体感を損なう原因にもなりかねません。
  3. スピード感の喪失: 中小零細企業の最大の武器は、意思決定の速さと柔軟性です。しかし、厳格すぎるルールに縛られることで、その武器を自ら手放してしまう危険性があります。

結論:認証は「目的」ではなく、あくまで「手段」

ISOやISMSの認証は、会社の信用を高めるための一つの「手段」にすぎません。しかし、その手段を手に入れるために、会社の貴重なリソース(ヒト・モノ・カネ)を過剰に投入し、本業が疎かになっては本末転倒です。

社長様におかれては、どうか「みんなが取っているから」「ないと格好がつかないから」という理由で判断しないでください。

自社の事業にとって、その認証は本当に必要か?

そのコストを支払ってでも得たいリターン(取引)は何か?

認証がなくても、顧客の信頼を得る他の方法はないか?

この問いを社内で徹底的に議論し、時には取引先に直接確認する。その上で、「必要だ」と判断したのであれば、それは会社を成長させるための戦略的な「投資」になります。

しかし、もし答えが「ノー」なのであれば、無理に取得する必要は全くありません。その分のコストと情熱は、製品開発、サービス向上、そして社員の待遇改善など、会社の未来を創るもっと大切なことに使いましょう。

賢明な社長様の、冷静なご判断を心より応援しております。